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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)9506号 判決 1994年8月26日

原告

向重春こと安成文

被告

山根政孝

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金三二万二〇七二円及びこれに対する平成四年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自金六〇一万七〇九六円及びこれに対する平成四年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、追突事故で傷害を負つたとする原告から、加害車両の運転者に対し民法七〇九条に基づき、保有者に対し自賠法三条に基づき、それぞれ損害賠償請求した事案である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

(1) 発生日時 平成四年四月二九日午前七時四五分ころ

(2) 発生場所 大阪府四條畷市蔀屋新町二番一六号先路上

(3) 加害車両 被告山根政孝(以下「被告政孝」という。)運転、被告山根一悦(以下「被告一悦」という。)保有の普通乗用自動車(大阪三五ろ六九六〇、以下「被告車」という。)

(4) 被害者 普通貨物自動車(大阪四七に七五二九、以下「原告車」という。)運転の原告

(5) 事故態様 被告車が原告車に追突したもの

2  責任原因

(1) 本件事故は被告政孝の前方注視義務を怠つた過失により発生したものである。

(2) 被告一悦は、被告車の保有者である。

3  損害の填補

被告車に付保された任意保険から田原病院治療費三七万〇〇四四円(なお、同病院の治療費は、診療報酬明細書(甲一三、一四)によると、原告負担の二〇六〇円の診断書料を除き、四四万七五八四円となるが、右三七万〇〇四四円の支払で精算済である。)、損害金内金として二〇〇万円の計二三七万〇〇四四円が支払われた。

二  争点

1  本件事故による原告の受傷の程度、相当治療期間

(1) 原告

本件事故により、頸部捻挫、腰部捻挫等の傷害を負い、平成五年六月三日まで治療を要した。

(2) 被告ら

原告の受傷程度は、一、二か月で治癒する程度のものである。仮に右期間を超えて治療が必要であつたとすれば、原告の既往症、あるいは心因性によるものであるから、損害額算定にあたつては民法七二二条を類推適用して少なくとも六割を超える減額をすべきである。

2  損害額

第三争点に対する判断

一  原告の受傷程度、相当治療期間(症状固定時期)

1  証拠(甲二ないし一〇、一一の1、2、一二、乙一の1、二の一、三、四、五の1、六ないし一〇、一一の1、2、原告本人)によれば、原告の受傷、治療経過について以下の事実が認められる。

(1) 本件事故は、原告車が対面赤信号のため停止中、被告車が追突したもので、原告車の損傷状況は、後部中央から左にかけて、バンパーから後部パネルの下方が押し込まれ、左後フエンダーには後縁部から前方に押し込まれたための変形があり、その変形が後輪タイヤの中央部の辺りまで及ぶといつたものであり、被告車の損傷状況は、前部中央から右にかけ、バンパーからフロントグリルにかけて押し込まれたような変形があり、フロントグリルは中央部で折損し、右半分は脱落し、右前フエンダーも前縁部からやや強く押し込まれたような変形といつたものであつた。

(2) 原告は、本件事故後、救急車で田原病院に搬送されて受診したが、その際、悪心、頭痛、頸部痛、腰痛を訴えたが、本件事故時一瞬気を失つたものの意識は清明で、運動、知覚には異常は認められず、頸部挫傷、腰部挫傷、脳振蘯、胸部・腰部打撲の疑いと診断され、同日、経過監察のため入院し、同年五月六日転医のため退院した。

(3) 同月七日、原告は、晃生病院で受診し、頸部捻挫、頭部外傷、腰部挫傷と診断され、同年一〇月六日まで保存療法による治療がなされたが、頸部痛、右上肢痛が強く、また、不定愁訴も強いため、その後、大阪医科大学附属病院(以下「大阪医大病院」という。)麻酔科を受診した。

晃生病院での、初診時のカルテの記載は「頭痛(+-)、項部痛あり、ジヤクソン、スパーリングテスト左右とも陰性、イートン右陽性、左陰性、レントゲンで脊椎症が認められるが、外傷性でない。頸椎のレントゲン、頸部CTはともに正常。膝蓋腱反射・アキレス腱反射ともに少し低下、ラセグー徴候左右とも陰性」とされていた。

レントゲン、MRIによる検査では、同年五月二七日の頸椎のMRIでは「第二・第三頸椎間~第六・第七頸椎間に椎体終板後縁に骨棘形成、後縦靱帯の肥厚も疑われ、第三・第四頸椎間~第五・第六頸椎間に脊柱管の前後径の狭小が認められる。」として、脊柱管狭窄、軽度の椎間板ヘルニア、頸部脊椎症と診断されている。同年九月三日の頸椎のMRIでは、「第三・第四頸椎間~第六・第七頸椎間などで軽度の椎間板突出が見られ、第三・第四頸椎間、第四・第五頸椎間で脊髄前面中央(前正中裂付近)に接しているがあまり強い圧迫はない、ただ、やや脊柱管前後径の狭小が認められる。」として頸椎椎間板ヘルニア、脊椎症と診断されている。同月九日の腰椎のMRIでは、「第二・第三腰椎間ないし第五腰椎・第一仙椎間の椎間板変性と突出あり。第二・第三腰椎間では中央~右後内側に突出して硬膜を圧排。第三・第四腰椎間、第四・第五腰椎間では左右後内側~中央に突出、圧排は第三・第四腰椎間で強い。第五腰椎・第一仙椎間は前湾のため、硬膜、神経根には接せず。椎体の変化は骨棘のみ。」として、腰椎椎間板ヘルニアと診断されている。

(4) 原告は、後頭ないし後頸部痛、右上肢の痺れ感、耳鳴・ふらつき等のバレリユー症候群様の症状を訴えて、平成四年一〇月二日、大阪医大病院で受診し、外傷性頸部症候群と診断され、同月二九日まで通院した後、同月三〇日から同年一二月四日まで入院し、持続硬膜外ブロツクによみ治療がなされた。入院中の検査では右上肢深部腱反射軽度低下以外には神経学的所見はなかつたが、頸椎レントゲンで頸椎症、椎間孔の狭小化を認め、MRIで、第三・第四頸椎椎間板の軽度後方突出を認めた。

(5) 原告は、大阪医大病院で星状神経節ブロツク、大後頭神経ブロツク、肩甲上神経ブロツク等による治療を受けたが、結局軽快するには至らず、同病院の森本医師は、後遺障害診断書において、後頭ないし後頸部痛、右上肢の痺れ感、耳鳴・ふらつき等のバレリユー症候群様の症状を残して、平成五年六月三日に症状が固定したと診断した。

(6) 原告は本件事故当時五〇歳で、クーラーの取付け、配管を業とする、妻と長男で構成する有限会社ヤシマ管工の代表者であり、自ら現場で作業を行つていた。

本件事故時、原告の長男も同乗し、受傷したが、二か月程度の通院で治療は打ち切つた。

なお、原告は、平成元年五月三日、追突事故に遇い、頭部外傷Ⅱ型、頸部捻挫、腰部挫傷等の傷害を負い、同日から平成二年一月一二日まで入院一六日を挟んで通院治療したことがある。

(7) 平成四年七月一五日まで、原告の診察をしていた晃生病院の牛窪医師は、原告の症状について、「自覚症状として、経時に頭痛、頸部痛、上肢痺れ感、全身倦怠等変動する不定愁訴が続き経過観察、他覚所見再検、場合により脳外科、神経内科等他科受診の必要ありと認めた」とし、就労についても、平成四年六月末には、軽作業の就労は可能と判断し、原告に不定愁訴はあるが、身体状況に応じた軽作業をしながら通常の社会生活に戻して行く方が軽快に役立つ旨説明した。

以上の事実が認められる。

2  右によれば、原告は、受傷後、頭痛、項部痛、腰痛を訴え、長期間にわたつて頸部痛、右上肢痛、その他の不定愁訴を訴えているものであるが、ジヤクソン、スパーリングテスト等の他覚的神経学的所見は認められない。

ところで、原告には頸椎、腰椎の椎間板ヘルニア、骨棘の存在も認められ、原告の右症状がこれによるものかについて検討すると、ヘルニアの発現部位の多さによると、本件事故による一回の衝撃で起きる可能性は乏しいというべきで、加令性の変化とみるのが相当であり、右ヘルニアが本件事故により発現したものと認めることは困難であるが、原告の諸症状がヘルニアによつて発現しているとすれば、神経根を圧迫することによるものであるから、スパーリングテスト、腱反射低下、ラセーグ徴候等神経学的所見が認められて然るべきであるが、これが乏しいことは前記のとおりであつて、右のヘルニア等によるものではないというべきである。

前記車両の損傷状況によれば、本件事故時、原告が頸部捻挫を負う程度の衝撃を受けたことは十分認められるが、前記のとおり神経学的所見に乏しいものであるから、神経根症には至らない程度の頸部捻挫等に止まるものと認められる。この程度の頸部捻挫は、頸椎周囲の靱帯や筋肉の出血や浮腫によつて発症するものであり、出血や浮腫が吸収されれば、治癒していくものであるから、長く見ても二か月程度で治癒するとの見解(乙五の1)に加え、前記牛窪医師の見解を斟酌すると、本件事故による原告の受傷は平成四年六月末までの治療で治癒しうるものであつたともいいうるが、原告の不定愁訴に対する神経ブロツク等の治療は平成五年六月三日まで継続しているところ、長期治療を要したのは、晃生病院での治療中に抑うつ剤、精神安定剤が投与されていること、抑うつ的な顔貌などとカルテに記載されていること、不定愁訴が多岐にわたること(乙二、五の各1)、前回の交通事故による受傷に対する治療も長期にわたつたことなどを考慮すると心因性反応によるものと認められ、これも本件事故に基因して発症したものである以上、右期間の通院治療はやむを得なかつたというべきである。しかしながら、心因性反応で長期化したことを考慮し、当事者の公平な損害の負担の見地から、過失相殺を類推してその損害の五割を減額するのが相当である。

二  損害額(以下、各費目の括弧内は原告主張額)

1  治療費(六四万二〇三〇円) 六四万二〇三〇円

証拠(甲一四ないし一六、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告が負担した田原病院の治療関係費は二〇六〇円(その余の三七万〇〇四四円は任意保険会社が支払済)、大阪医大病院での原告が負担すべき治療費は六三万九九七〇円となる。

2  交通費(二万一二〇〇円) 二万一二〇〇円

前記認定、証拠(甲一七、原告本人)及び弁論の全趣旨によると、原告は本件事故による傷害のため、田原病院に入院したが、その退院時タクシーを利用し、四〇〇〇円を要したこと、大阪医大病院へは公共交通機関を利用して四三回通院し、一往復四〇〇円を要したことが認められる。

3  休業損害(五三四万六六六六円) 三〇五万〇九五八円

前記認定によれば、原告は症状固定日である平成五年六月三日まで入通院治療(入院四四日、通院期間三五七日(実通院日数一四〇日))を要したこと、その間、殆ど就労していなかつたことが認められ、右通院治療状況、通院実日数、平成四年七月初めから軽作業に従事することが可能との医師の所見などを総合考慮すると、平成四年六月末日までは一〇〇パーセント、同年七月初めから平成五年六月三日まで平均して五〇パーセント労働能力に制約があつたと認めるのが相当であるところ、原告はヤシマ管工の決算上、本件事故前は役員報酬として四八〇万円が支給されていたが、本件事故後は右報酬の支払がなかつたこと、ヤシマ管工の売上が平成三年度が約一九一二万円、平成四年度が約一〇六五万円と受傷後半減していること、平成四年の賃金センサスの五〇歳の平均賃金等を総合考慮すると、原告は、本件事故当時、事故に遇わなければ、年間少なくとも四八〇万円の収入を得ていたと認めるのが相当であり、これにより、休業損害を算定すると、三〇五万〇九五八円となる。

4,800,000÷365×(63+338×0.5)=3,050,958

(小数点以下切捨て、以下同じ)

4  慰謝料(一四〇万円) 一二〇万円

本件事故による原告の傷害の部位、程度、通院期間、実通院日数、職業等を総合勘案すると慰謝料として一二〇万円が相当である。

5  小計

以上によれば、原告の本件事故による損害は、田原病院の治療費三七万〇〇四四円を加算すると、五二八万四二三二円となり、前記過失相殺の類推適用により五割の減額をすると、二六四万二一一六円となり、前記既払金二三七万〇〇四四円を控除すると、二七万二〇七二円となる。

6  弁護士費用(五五万円) 五万円

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は五万円と認めるのが相当である。

三  まとめ

以上によると、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、金三二万二〇七二円及びこれに対する不法行為の日である平成四年四月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。

(裁判官 髙野裕)

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